アニメ「おそ松さん」にみる新時代と六つ子の色彩論
たまにはヲタヲタしい話題もしたいよね!(笑)
先日最終回をむかえたアニメ「おそ松さん」大フィーバーでしたね。。!
私も毎週楽しく見てました(*´∀`)
私自身は松girlではなく(笑)
今回あまり“六つ子萌え”的な見方はしていなかったのだけども、
今をときめく売れっ子声優さんたちの、もう素晴らしいとしか言いようのない体当たり演技と、
いろんな意味でアニメ表現の限界(笑)にチャレンジしようとするスタッフさんの根性、
そして一部の女子たちの心を掴んで離さないよう緻密に計算しつくされた構成と演出、
まあお粗末どころかお見事な作品だったなと思います。
そして、実はこの作品だいぶ革新的だったのではないかと。
だって、六つ子はどこまでもクズニートで、そしてゲスい。
頑張らないし、成長しないし、世間一般の基準からしたら潔いほどダメ人間。
たまに絶妙に一部の女子の心をくすぐるシリアスをぶっこんできても、オチはギャグで一貫。
そんな六つ子が「尊い」「愛おしい」と女子たちにもてはやされる時代がきたのかと。
あ、これ新しいエネルギーの波きてる!と私はものすごく感動したんですよね。。(*´ω`*)
これまでって、いわゆる「ジャンプ系」に代表されるような、
「主人公が頑張って、成長して、仲間を得て、挫折もしつつ、勝つ(問題を解決する)」
というようなストーリーが主流で、支持されてきた。
スポーツものやバトルものなんてまさにこれ。
一見頑張らないだめ主人公っぽいのもいるけど、いざとなったらできる、やるときはやるのが定番。
ふんわりした日常系の作品でも、何かしら自分探しや成長を試される局面があって進む。
(まあそれがないと普通はストーリー成り立ちません笑)
女子たちは、そんな主人公たちに憧れて、投影して、そこに理想をみていたのだと思っていた。
(今後もそれは継続するだろうし、両立するだろうし、どちらもたぶん必要で、良いとか悪いの話ではない)
だけど、ああ、もう、みんな頑張りたくないんだよね、って思った。
そしてそれを堂々と、認めてゆるして受け入れてしまえる時代がきてるんだなーと。
ダメな彼ら(自分)だってこんなに愛おしいじゃん、って。
世間からみたらダメかもしれませんが、
こんなに魅力的な個性にあふれた人間なんですよ、
決して顔がいいわけでも性格がいいわけでもないけれど、
でも、自分なりに物を見て相手を思って葛藤しながらも欲望のままに生きてる。
それだけでもうなんて素晴らしいのだろう!!
…そんな叫びが聞こえたような気がしてねえ、
それって本当にめでたい!と思いましたよ(о´∀`о)
で、ダメな自分をさらけだして愛せたら、
きっと次はすごいことが起きるんだよね。
おそ松さんフィーバーみたいに、世界から愛が還ってくるんだと思います。
なんてオチをつけるのすら野暮なほど。
あと、おまけ。(6つ子記事でどれだけ書くんだよ…ww)
彼らのテーマカラーについて、
なんか6つ子の色彩論みたいなのが書けそうだな~とふと思い付いたので
メモしときたかったんでした。
赤は実体の色で、青は概念の色。
赤の長男は現実に生きている。とても実際的で物質的。
目の前のことを生きる。食べたい寝たい楽しみたい。
青の次男は理想に生きる。愛とは何か、人生とは何か、哲学し、語る。
概念だけだから地に足はつかない(からイタい)。
とても精神的な世界を見てる。
黄色は個の光。「自分」がどうであるかを軸に世界を見る。
俺楽しい、俺これ好き、俺野球したい、という五男。純粋すぎる光は狂気と紙一重。
概念の青と個人の黄を混ぜた緑は、「自分はこの概念をどう生きるか」を考える。
三男の「俺、こうしようと思うんだよね」、「俺、○○のためには▲▲が必要だと思うんだ」というやつ。
往々にして頭でっかちになる(自意識ライジングする)。
でも、緑は調和の色でもあるのでバランサーになれる。
赤と青、両者を内に持つ紫の四男は、自己矛盾と葛藤に苛まれがち。
即物的な部分と、観念に生きたい部分と。
現実と理想を一番よく見ている故の、繊細さと傷付きやすさ。
六男のピンクは質的には赤と同じ、バリバリの現実主義だけど
明度が上がることによって軽さと柔軟さが増す。
ややふわっともするけどものすごいしたたかさ。
原理だけでなく応用がきくので世渡りが上手い。
その分パワーが落ちるので打たれ弱くなる。
(…あ、私はそんな真面目にキャラ考察とかしてませんし、
なんかふわっと捉えたイメージを色彩学と結びつけててきとうに言ってるだけなのであしからず!
色の意味もあくまでその色の持つ一面にすぎないです。。!)
はい、おそまつさんでした~!
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