停滞しているとき
お久しぶりです、真梛月(まなづき)です。
五月は、五月病でした!(笑)
いや~まったくお仕事モードにならなくてね。。(^^;
作品もほとんどつくらず、
なにかを発信したいともほとんど思わず、
人ともほとんど会わず。。
(´・ω・`)
そして五月病とかイイワケしてますが、
私、わりとしょっちゅうこうですねw
なので更新は基本ムラっ毛の固まりのようなもの。。(ムラっ毛玉。。)
以前なら、こういうときとても焦っていた。
いつも快活でバイタリティに溢れている(ように見える)人と自分を比べては、
あー私だめだなって自分を責めて、
ビジネスで成功する基本は毎日コツコツ継続すること!なんていうセオリーを思い出しては、
あーやっぱり私だめだなって自分を責めて、
ますます動きたくなくなり悪循環。。
(´・ω・`)
でも、気付いたんです。
あ、これって、
それらを全部ひっくるめて、自分にYESを出す訓練なのかな、って。
私はもちろんだめじゃないし、
でも、だめだっていいんです。
だめだめだって成功できるし、
たとえもし成功なんてしなくても、
それは私の価値を何一つ損なわない。
だめな自分から目を背けて逃げ回るのではなく、
だめな自分を丸っと受け入れてしまうこと。
努力しない、というのともちと違って、
努力のベクトルを変えるのかな、良い意味で諦めて認める方に。
むつかしいんですけどね。
こうやってもだもだしていること自体が、
私が「だめな自分」というものを強く意識してしまっているわけで。。
理想は、自分のことだめだなんてまっったく思いもしないけど!?
という境地ですが、、まあゆっくり行きましょう。
あと、「自分だめだなあ、進めてないなあ、」って思わない人、
ほとんどいないような気もするので、自分も含めヒントになれば。
結局、やれないときはどうしたってやれないのです。
だからやらなくていい。
局面が進むときには、なにもしなくても否応なしに進む。
そして実は、停滞しているときは進んでいないようで進んでいる。
私の場合は、
それでいいんだよ、ってことをずーっと繰返し確認してるようなかんじです。
いわば、見えない流れに上手く乗る感覚をつかむ練習。
でね、この流れに委ねるとき、コツというか、必要なものがあって。
コンパス(方向を定める)と重り(動きを安定させる)みたいなもの。
なくても流れには乗れるけど、あまりにもぐるぐる翻弄されて酔っちゃうかも。
それが「意志」と「グラウンディング」
こんな自分でありたい、これをやりたい、という思いと、
ちゃんと現実を生きる、地に足をつけること。
そんなことを最近思ってます。
マイペースと脱力がキモなのさ。
(・ωー)~☆
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